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小学生の頃、  「カレー味のうんことうんこ味のカレーどっち食べる?」とかいう究極の選択シリーズがあったよね。

現在私もそのような局面に立たされている。

 昨日、便秘の患者さんの摘便をして、「よし!本日も大漁なり!悅」って終わりにしたところ、手袋についてた、
うんこが落下し、右のナースシューズにオン!! 
ギャーって叫びそうになったのを必死でこらえた。

ふらつきのある患者さんで、座って待っててね、も通じない認知症の患者さんだったから、靴を換えに離れるわけにもいかない。
私は
 「右足のこれは巻き貝のオブジェなんだ、絶対そうなんだ!」 と自分を騙しつつ、患者さんを部屋に戻して拘束してから、ナースシューズを換えに更衣室へ猛ダッシュ!!
 
 ショックが大きかったため、「自分についたウンより患者の安全を優先する私って看護師の鏡じゃん!!」とか自らを褒めて慰めてみたりした。

で、究極の選択はここから。
実はそのナースシューズは白の有名メーカーものの値段も高いもの。
しかも買ったばかり…。
「洗って使うべきか?捨てるべきか?それが問題だ」
(by シェイクスピア)

# by aikolovekurosaki | 2010-10-14 01:54
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 まあでも、性的虐待の傷は深い。
周りから気付かれにくくて長期化することもあるかもしれないし、どうしてか身体的虐待など他の虐待に比べて、その後、自傷行為や人格障害などに発展するケースが多いのだという。

私もまさしくそうだったのかもしれない。

 性的虐待が「通りすがりのおじさんにいたずらされました」っていうのと決定的に違うところは、どんなに嫌だと思ってもそれを我慢しなければ境遇的に生きていけない、と動物的本能で察知して、無意識に耐えるメカニズムを自分の中に作り出してしまうからだと思う。

 つまり、他人に性的に嫌なことをされたなら、保護者である親に泣きつけばいいわけで、こういうメカニズムはできにくい。
 でも私にとって兄は留守番で二人きりでいることが避けられない身内で、力でも口でも叶わないことが明白で、ご飯(=生きる糧)をくれる人物だった。最初にそれを親に言いだせなかったことで、私は兄の行為を受け入れてしまったと感じていて、そのことを恥ずかしいと思っていた。
だから誰にも絶対に言えなかった。
 
 このメカニズムは身体的虐待でも同じらしいんだけど、自分の体を自分のものじゃなく感じて、だから何されても平気!と思ってみたり、されている自分は別の自分でほんとの自分は他にいて、嫌なことされてる自分を他人事のようにぼんやり眺めてるから大丈夫なの!って思いこむ感覚。
ダメだ。
文章力がなさすぎて経験者でなければ、何を言ってるか全く分からないね、たぶん。
あとは感情鈍磨になってしまったりもする。

 このメカニズムが思春期になって、もう一人の自分を生み出したり(いわゆる多重人格、解離性障害)、自分の体を自分のものと思えないので大事にできない(自傷行為とか摂食障害とか)になったりするんだと思う。

 私も自傷行為・摂食障害だけじゃなく解離性健忘と診断名がつくようなことがあった。
むしろPTSDだったんじゃないかなと自分では思うんだけど。

 大人になって、意に反して押し倒されたり性的に嫌なことを強要されたとき、私は記憶が飛んでしまうことがよくあった。
 元彼とHしたときにときどき現れた。
 彼の部屋に入って押し倒されたとこまでは覚えてるんだけど、気がつけば帰り道。
何をしたんだか一生懸命思いだそうとしても思い出せない。

 明け方の帰り道、一人で歩きながら親友Mに電話したことがある。
「今、何があったんだか思い出せないんだよね。なんかこう、目の前にすっと手が出てきて記憶を覆い隠されてるみたいな、霧がかかってるみたいに記憶がはっきりしないんだよね」
 
 親友Mは本気で怖がっていた。
「今、聞いててぞわって鳥肌が立った。ほんとに彼との付き合い、もうやめな!愛子が壊れちゃうよ」

 ちなみにお酒飲んでたわけじゃない。元彼はお酒好きじゃなかったから飲んで会うことはなかった。
 具体的にどういう時に解離が起きるのかはよくわからない。
一番驚いたのは、看護大学の心理学の授業で摂食障害の子のドキュメンタリーを見て感想文を書く、って授業があった日。
 感想文の白紙を目の前にしたところで記憶がない。
次に気がついた?のは実家の隣の市の国道で、中央分離帯の草地の上に自分の自転車掴んで立っていた。
時計を見れば、夜11時過ぎ。

なんでー!?
ここはどこー!?って本気でびっくりしたwww

 車通りの多い国道でどうやってそんなところに行ったものだか。
記憶がない数時間のあいだ、何をしてたのかさっぱり思い出せない。

 後日、書いた記憶のないそのレポートが返却されて、そこにはただビデオの感想を書けばいいだけだったのに、自分の過食嘔吐の経験について紙いっぱいびっしり、赤裸々に書いてあった。
「何か困ってることがあったら、気軽に相談に来てくださいね」って教授の助手のコメントが赤ペンで書いてあって、読まれたんだって思うとものすごく恥ずかしくて、すぐに破り捨てた。


あー!
今まで自分の過去について、母親との疎遠な関係、父親との葛藤、最後にこの兄との関係について文章にして振り返ってみたけど、客観的にみて、やっぱり自分はいろいろ苦労してきたんだなって思った。
 
でも。
でもね。

 今回、過去についていろいろ振り返ったのは、感傷にひたるためでも、自分を可哀そうって憐れむためでもない。

 ときおり過去のトラウマがフラッシュバックしてきて、最近、現在の幸せに水を差しそうになることがたびたびあって、過去を整理してきちんとケジメをつけなくては、せっかくの今の幸せを台無しにしてしまうと思ったからなんだ。

他人と過去は変えられない。
でも、自分とこれからの未来は、努力しだいで変えていけるのだと、私はそう信じている。
 


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# by aikolovekurosaki | 2010-08-18 19:29
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 「あいちゃん」の記事にちょっと書いたように、 実は私もちょっとした性的いたずらを受けて育った。
両親は共働きだったので、私は母の連れ子である七歳年上の兄と留守番をすることが多かった。
ケンカもよくしたけど、ご飯を作ってくれたり遊んでくれたり、幼い私の面倒をよくみてくれる優しい人だった。

兄は中学生。ちょうど性的興味が出てくる頃で、私は6歳くらいの保育園児だった。

それは何年も続いたわけではなく、せいぜい小学校一年生くらいまでの短い間だったのではないかと思う。

 始まりの日のことははっきり覚えてる。
すっ裸でプールに入るのが普通だった保育園で育った私は、それまで裸を恥ずかしいと思ったことはなかった。
てことはたぶん夏の出来事だったんだろう。
兄と留守番して遊んでるとき、突然「お小遣いやるから服脱げ」って言われた。

服を脱ぐことに羞恥心がなかった私は「いいけどなんで?」って思いながらも裸になった。
兄は私の身体を見たあと、「ほんとに脱いでやんの!バッカじゃねー。冗談に決まってるだろ!」って言った。

 そのとき兄の視線を私はなぜだかものすごく恥ずかしいって思って、それが初めて裸を恥ずかしいと思った瞬間だった。
 兄が冗談で言ったことを真に受けて、自ら裸になったことにも羞恥心を覚えた私は、どうしてか、帰宅した父にそのことを言ってはいけない気がして、言えなかった。
ほんの6歳で、私は親に言えない大きな秘密を抱えてしまった。
次のプールの時間、男女とも裸になって入らなきゃいけないことに、ものすごく抵抗を覚えたのを今でも覚えている。

 それから、たぶん親に告げ口されるってのが一番心配だろう兄は、私がそれをできないことを知ったからなのか、さらに進んだ行為を強要してきた。
 全裸を触られたり、指でされたり、自慰行為を見せたり。
一方的にされる性的行為だけで、兄のほうに何かするよう強要されたり、体を繋いだことはなかったと思う。たぶん…。
 時折そんな行為がありながらも、普段はご飯を作ってもらって二人で食べたりテレビ見たり、遊んでもらったりケンカもしたり、普通の兄妹の関係が継続していた。
 そんな日が続いて、でも両親や近所の人には私たちのことは全く知られることなく、仲のいい兄妹ね、と思われて過ぎていった。
 兄との行為は恥ずかしい、人に知られてはいけない、とは思っても、嫌だとは感じていなかった。
「嫌だ」と感じてしまったら、兄と二人で過ごす留守番の日々が苦痛になってしまうと本能的に知っていたからかもしれない。
私の感情は凍りついていたようにも思うし、「私の体は、私のものではない」ようにも感じていた。

 兄とそういうことがあった最後の日。
いつものように始まって、そしていつもと違っていたのは、そこから記憶がぷっつりとなくて、次に覚えているのはお隣の家の二階で震えていたこと。
裸足でかどうかは定かじゃないけどお隣に駆け込んだのだ。
あ、ちなみに服は着てた。
 お隣の家の前で兄がイライラして待ってて「俺が怒られるだろ。早く帰ってこいよ」と、両親が家に帰ってくる前に家に連れ戻そうとやっきになっていて、お隣さんはケンカか何かしたのだろうと思ってのんきな声で「ほらほら。お兄ちゃんも謝ってるし。帰ったらどう?」って言ってた。
でも結局父が帰ってくるまで怖くて家に帰らなかったことだけ覚えてる。

 これが私の解放の日となった。
 
記憶が飛んでる部分でいったい何が起こったのか、気になったこともあった。
だけど、27歳のとき自傷行為を治すために看護大学の心理カウンセラーのおばちゃん先生に初めてこの体験を話して、思い出せない、正確には思いだそうとすると頭痛というか頭が締め付けられるうような感じになって思い出せない部分があることを言ったら、たぶん思い出したくないことなのだろうし、思い出さなくていいから、と。
 これを書いてる今も、実はちょっと頭が締め付けられる感じがして痛い。
でも、私はけっこう悲観的に物事を考える癖があるから、悪い想像で悲観的にならないよう、なるべく、「子どもの頃の記憶なんてあいまいだし、記憶が飛んでる部分であったことは別に大したことじゃなかったから、すぐ忘れちゃったのさ!」と思うようにしてる。


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# by aikolovekurosaki | 2010-08-13 01:51
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 最後の半年くらい、実は私は「彼女」になっていた。
その頃、私は看護師になるべく看護大学に通っていて、私の大学の仲良かった友達を呼んでバーベキューしたり花火したりしていた。
 そのあたりから彼と私との間は急速によくなっていて、「こんなのもうやだ。ちゃんと付き合いたい」っていつものごとくケンカしたら「そうだね。ちゃんと付き合おうか」ってなって、なんか彼女になった。
それどころか、「今日はHしたくない」って言ってしないことはなかったのに、「疲れてんの?じゃあ、帰ろうか」ってHなしで遊ぶこともあった。
 それが、体目当てなだけじゃない、愛情の証みたいなものに思っていた。
別れる前のクリスマスには、指輪はなかったけどプロポーズもされた。
年明け辺りから一緒に住むはずで、動物嫌いの彼が私の愛猫も連れてきていいよ~なんて言っていた。
でも、仕事の都合で実家にいないと…とかでその話は流れた。

 彼は地元に男女問わず友達がいっぱいいて、女友達と二人で遊ぶのもドライブするのも別に気にしなかった。(彼の車は二人乗りだったし)
でも、自分の行きさつもあったから、女の子と部屋で二人きりにはならないでねってとこだけ約束してた。
私の大学のある女友達とドライブ行ったりしてるのも知ってたけど、それくらいならいいよって言ってた。

 それから半年くらい経って、彼女の部屋で一緒に試験勉強してるときに彼の持ち物を見つけたり、その子の様子とかとにかく何かが変だと思い始めてたから、怖いけどはっきりさせようって思った。

 学期末の試験が終わった日はバレンタインデーで、彼とデートすることになってたけど、その前にその友達と昼食をとって話した。
「誤解だといいんだけどさ。私の彼と寝てない?」
「……。寝てる。ごめん。」

 始まりはちょうど私が彼の「彼女」になった頃。
私はその前から説明も面倒なので、友達には彼を「彼氏だよ」って紹介してたんだけど、その子は彼が自分のアパートに遊びに来て、何度目かで押し倒されたとき「好きだけど愛子ちゃんの彼氏だから…」って言ったけど、「え?違うよ。あいつがそういってるだけ。ただの友達だよww」って言われて寝たんだって。

 彼が私を「彼女」にしたり、プロポーズしたり、優しくしたのはおそらく浮気してるのを隠すため。Hを強要しないデートをし始めたのは、よそで性欲が満たされてたから。
ただそれだけのことだった…。

 当然、私たちは彼にどういうことなのか確認してってなるんだけど、なんかもう後は書くのもアホらしいくらい泥沼で、私たちが両方引かないから「じゃあ、今のままでよくね?」ってなった。
「好きだなんて言った覚えないし」「付き合ってたって言っても他の子とHしないなんて言ってなくね?」とかもう聞きたくないってことをさんざん言われた。
彼の口からそんな言葉、もう聞きたくないって思った。
その夜突然、私の右耳は聞こえなくなった。

 ストレス性の突発性難聴。
加えて10m歩くのにも一回転ぶくらいの、ひどいめまい。
すぐに点滴と薬でステロイド治療始めたけど、治る確率は3割程度。
試験が終わって初めての病院実習のさなか、聴診器を使うケアはすべてダメで、「耳が聞こえないので」と教官に白状せざるを得なくて、難聴は看護師の欠格事項にあたるから治らなければ看護師にもなれない=食べていけないっていう瀬戸際にあった。

 そんな中、三角関係はまだゴタゴタしてて、フタマタ状態で続けて同じ彼の布団で私と友達が交互に寝るってのはさすがに嫌で、どちらともHしない友達に戻るって約束してみたり、その友達は「もうさすがに愛子に嘘はつかないし裏切らない」って約束してきたり。

 友達に戻るっていうし、なので彼の部屋に置いておいたものや、私が買い置きして(させられて、なんだけど)いたゴムを処分しようと思って、箱を開けてみた。
 
 そしたらゴムの数が減ってて、なんで?って思った。
「…あの子と使ったの?」って彼に聞いたら「そうだよ」って言われたので、私が怒ってその場で彼女に電話してそれは本当か問い詰めたら「使った…。裏切ってごめん」って言った。
 と思ったら、電話を切った直後、彼が「今の嘘だよ。ほんとは使ってないよ!」って言って減ってた分のゴムを違う場所から出してきた。

 彼は私が難聴になった件も、今はストレスから離れなきゃいけないことも知っていた。なのになんでそんなことしたのか聞いたら「あんたがまだ俺のことどのくらい好きでいてくれてるか確かめたくて」だそう。
怒ったらまだ好き、なんだそうだ。
んでその場でもう一度彼女に電話して再び尋ねたら、「ほんとは使ってないし、何もしてない。彼が愛子の愛情を確かめたいから口裏合わせてほしいって頼まれたの。それに協力しちゃったの。ほんとにごめん。」と。

……。
意味不明すぎる…。

 少し回復していた難聴とめまいは再び悪化してしまった。
難聴は繰り返すたびに、回復できる確率は確実に下がっていく。
難聴の専門医のいる耳鼻科に病院も変え、そう言われた。
こんな二人に関わってたら、きっと私の耳は治るものも治らない。

 私は二人と縁を切った。
自分は男性を見る目も友達を見る目も、なんてなかったんだろうって思いながら。
「元彼」「彼女」ってわざとカギカッコにしてるのは、実質そんなんじゃなかったからだ。

 この時、地元の友達も看護大学の友達もそれぞれ彼や彼女の味方になってしまったので、全員と縁を切り、私はまた一人ぼっちになった。
 
 でも親友Mだけはこの頃から変わらずいつでも私の味方でいてくれた。
もちろん、私のダメだったとこを叱りつつ、一緒に泣いたり怒ったりしてくれつつ。
お互いになんでも打ち明けられる、大切な大切な友人。

 大学の大講義室で100人の中でひとりぼっちはさすがに淋しかったけど、彼女と席を並べることはもうあり得なかった。
 彼女は元のグループに留まって彼ともコソコソしないで会えるようになって、「最近、綺麗になったね」とか「悪いのは男だよ。好きになっちゃったものは仕方ないよ」とかみんなに言われて、楽しそうにやってた。
 彼とは近所なので二人でドライブしてたり、デートしているところもときどき見かけた。
その最中、彼のほうとだけ目が合ってしまい、わざと彼が彼女の肩を抱いたりすることもあった。

 私のほうは「大学に居場所がない」って難聴のことを相談した先生の研究室に転がりこんでた。
それがたまたま精神看護の先生だったのだ。

 そして大学では、たまたま病院実習のグループが一緒で愚痴をこぼした友達がすごく気のいい子で、その子たちは3人仲良しでいつもくっついていて、入学当初からそのいたずら&奔放っぷりを始め、秘かに憧れてた三人で、「そんならウチにおいでよ!」って。
グループに入れてもらったときは嬉しかったなあ。

 学食で「ここがねえさんの席だよ」って言ってお茶をおいてくれてて、ご飯食べずに三人が待っててくれたときは、ほんとに心がほんわか癒されて、ちょっと泣きそうになった。
一緒にいただきますってご飯を食べるのがこんなに幸せなものなんだって初めて気づいた。
Mやこの三人は、今でも一番の親友。

 難聴のほうは幸い3割の中に滑りこみ聞こえるようになったけど、実はそれがそのままメニエル病に移行しちゃって、その後も寝起きにめまいと吐き気があったり、疲れると耳が聞こえにくくなったりするようになってしまった。
 最初はすごく二人を恨んだ。
殺してやりたいとさえ本気で思った。
でも、こんなやつらのために人殺しになって自分の人生を台無しにするのはアホくさいって思っていたからしなかった。
 でも今は、人間「無病息災」じゃなくて「一病息災」なんだから、難聴とかちょっとくらいの弱いところならあっても、「あ、いま自分はストレスためちゃってるってサインなんだ」とか「疲れてるって体が言ってるんだ。ちょっと休もう」とか体調を知るいいバロメーターができたんだって思うようにしてるから、そんなに気にしてない。
メニエルの発作も今年に入ってからは一度もないな。

 「元彼」とこの女友達と関わって失ったものは処女とメニエル病と男性不信くらいかな。
あと、付き合うストレスで過食がぶりかえしてしまって、体重が15㎏も増えたことかな!
これはかなりの痛手っ!www
それも今はあの頃の写真を眺めつつ、ダイエットに没頭中♪
過去をなかったことにはできないけど、成功したらまた何か、新しい自分が見えてきそうな気がして。

 私はこの一件で、人を見る目を磨かなきゃと思って意識的にそうするようにしてきたし、自分に自信がなくて自尊心が低いから俺様な男性につけこまれるって学習して、治そうと努力をし始めた。
最低の経験をしたからこそ、いい恋愛をしたいって心底思えようになった。

 そして何より気の合う親友ができたこと。
信頼して打ち明け話もできるし、じゃれてはしゃいだり、まったりしたり、一緒に遊ぶのがとにかく楽しい。
元彼と遊んでた時の100倍幸せ。
それは私にとってほんとに得難い宝物。
今では、失ったものより断然、得たもののほうが大きかったと思ってるんだ!


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# by aikolovekurosaki | 2010-08-12 03:51
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 彼とのおかしな関係は3年近く続いた。
私の友人と彼の友人を招いてみんなでワイワイバーベキューをしたり、楽しいこともあった。
それが後にアダになるんだけど。
会話とか遊びとかはお互い気が合って、普通に遊んでるとき楽しかったのは否定できない事実。
彼の男友達と三人で遊ぶことも多かった。

でも彼は本当に用意周到というかなんでも計算ずくの打算的な人だった。
気がつけば、H抜きで会うことはなくなってた。

 例えば、こんなふう。
昼間、彼からの電話が鳴る。
今から遊べるかというので、時間をやりくり、調整して出かける。
彼の部屋に行くと、男友達が来ていて二人ですでにゲームをしている。
あれ?それは聞いてない、と思うが、まあいいやと思い直す。
挨拶すると、彼の友達は「あ、どうも」くらい言うが、彼はゲームに夢中で返事もしない。
ゲームも途中からということもあり、私は参加せず見ている。
しかも私はそんなにテレビゲームは好きじゃない。

 数時間そんな感じで過ぎ、さすがに帰ろうかと思うと、
「待って!今、終わるから」
とそこからがまたなかなか終わらないが、二人のゲームを見て過ごす。

 んで、やっと三人でトランプしたりご飯食べたりして、夜になって彼の友達が帰るというので私も帰ろうとしたら、絶対に帰してもらえない。
しかも彼の友達には体の関係があることは絶対内緒だった。
一度帰ったふりして戻ってくるように、と言われてそうすることもよくあった。

 彼の友達が帰ったあとはHタイム。
長い時は4、5時間。
でも彼はけっこう自分本位のSEXをするので、私は三年間で1、2回しかイッタことがない。
イッタふりばっかりしてた。あと、一方的に私がすることが多かった。

 終わると車でドライブがてら送ってくれるときもあるし、それが昼間だとまだ裸のまま「よし、次は○○君と遊ぼう!」っていきなり電話をかけ始め、次の遊び相手が見つかると「あ、疲れてるでしょ。帰ってもいいよ?」ってなることもあった。ちなみに電話しても次の遊び相手が見つからないと私が帰りたいと言っても「もうちょっとだけ一緒にいて。ね?」と言って長いドライブになったりした。

 私の仕事の帰りとかは疲れていると断っても「どうしても直接会って大事な用事がある」とか「ご飯作ったから食べてだけ行ってよ。もう作っちゃったのに来ないと捨てるしかないんだけど」って言われて彼の家に寄って、彼のお母さんの作った夕ご飯の余り的なものを彼がゲームしてるのを見ながら食べて、Hして帰ってくるっていうのが日常だった。

 Hのあと彼は寝てしまって、明け方の道を一人で歩いて帰る時もよくあった。
一人での帰り道ではいつもうつろな気分で、呼ばれて行って、一方的に奉仕して帰ってくるってなんだか無料のデリヘルみたいだなって思うことがしばしばあった。
 彼はキャバクラも風俗も嫌いだし行かない真面目な人だと思ってたけど、そんなとこがお店のお客さんと違くて好きだったんだけど、要はすごくケチな人で車にお金をかけたいからそういうとこ行かなかっただけ。
私が乗せてもらってるから、ご飯をもらったから、という理由でドライブのガソリン代とか外食代を私が払うこともよくあった。
 この頃の彼に対する私の気持ちはとても言葉では言い表せない。
どんなひどいことされても好き、って気持ちと、殺してやりたいくらい憎くてたまらない、絶対許せないって気持ちと、相反する気持ちが同時に心の中に存在していて、それが交互に押し寄せてきて、いつもいつもすごく苦しかった。
愛なのか憎しみなのか分からないけど、自分ではどうにもならない執着心だけは、はっきりと自覚してた。
 
 でもそんな関係やめたい、やめなければっていつも思っていて、ちゃんと付き合うか、Hとか抜きのただの友達に戻りたいって何度もケンカしたり、「ただの友達!」って約束してみたりしたけど、いつもなし崩しに体の関係に戻っていた。
 ときどき「私のこと好き?」とか「どう思ってるの?」って聞くこともあったけど、彼は「そんなこと言わなくてもわかってるでしょ」とちょっと照れてみせたりとか「内緒!」ってふざけて言ってみたり、気づけば好きだと言葉に出して言われたことは一度もなかった。


 今までずっと疑問に思っていた。
あの日々はいったい何だったんだろう?
ご飯を食べさせてくれたり、一緒に遊んだり、二人にしかない呼吸みたいなのはいったい何だったんだろう?
当時、私は愛のかけらのように感じていたんだけど。

 ずっとわからなかった。
だから今まで過去を引きずってきていた。

 辛くてずっと認めたくなかったけど、今ならはっきり言える。
私は彼の暇つぶしの相手で、娯楽の提供者で、性欲処理の道具でしかなかったんだと。


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# by aikolovekurosaki | 2010-08-11 14:32